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先祖代々農業を営んできた中道農園の歴史をご紹介します。
創業者「中道登喜造」昭和4年、大阪府三番(現在の門真市堂山町)で、代々農業を営む農家の次男として誕生しました。子供の頃から勉強以上に農作業を手伝っていた。一方、小学校に馬で通学する、常識はずれな行動をとる人物でした。
田畑を牛が耕していた時代です。
登喜造が出会った雑誌「リーダーズダイジェスト」に心を奪われた。そこには「欧米諸国は、ジープで田畑を耕し、ブルドーザーで一夜にして広大な農地を造る」と紹介されていたのである。次男でありながら農業への情熱が燃え上がり、戦後のボロボロの日本に、外国の近代的な農業の夢を見たのです。
独身時代は農業青年活動に力を入れ仲間と将来への技術とエネルギーを蓄えていました。
昭和31年に、農業仲間の妹(節子ばちゃん)と結婚、農業活動に加速をつけていた。
1956年の大阪府門真市月出町、(現在のモノレール門真駅と大日駅の中ほどで撮影、右の道路は中央環状線近畿自動車道下、後ろに門真市水道局が写っている。当時は田んぼしかなかった。)
しかし、当時の門真市は急激な都市化により、10年ほどで農地は、住宅や工場の中に埋もれる状態となり、理想的な農業が困難となっていました。
そこで登喜造は、近代的農業の条件「豊かな水と平野そして温度」をかなえる農業の進展地を求めて、西日本(三重県から九州宮崎県まで)を数年に渡り捜し求めた。
1970年(大阪万国博覧会開催)に、琵琶湖のほとり、現在の滋賀県野洲市に一家そろって移住を決断したのです。
ひたすらヨーロッパ農業を意識して米造り農業一筋に取り組んできました。
ドイツ製の72馬力のトラクターが頼もしい。(牛の変わり?)
急激な規模拡大が元で、登喜造は農薬中毒に苦しむようになった。
身の安全のために、農薬軽減につながる土造りを基本に、絶えず新技術に取り組んできました。
NHK「明るい農村」農業は家業なり家族が力を合わせ新たな農業へと突き進む姿を放映いただいた。
農業の基本「土造り」を進める上でキャタビラ式トラクター導入。北海道の大型畑作用農業機械の水田利用のために、多くの技術者やメーカ設計者の力を結集して開発された一号機です。(フィールドテスト成功時の記念写真)
効率よく土造りを行うための大型たい肥散布装置も更新導入。
「直接お米を買いたい」という消費者に促されて、1986年より、農林省の「特別栽培米制度」の認可を受け「有機質肥料100%、農薬は除草剤のみ使用」の契約で全国への産直販売を始めたのである。
オハイオ州より買付けた、自然風、風力乾燥プラントの完成!
日本でも珍しい、自然の空気だけを使い「はさがけ乾燥」の利点を生かす中道農園オリジナル技術です。
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